. バスの昇降ステップに乗り込む途中に、歩道に立ったままの麻祈から、棒読みを遂げてくる。
「さようなら。おやすみなさい」
紫乃は、返事をした。
「はい。さよなら……おやすみなさい。麻祈さん。―――それじゃ、また」
麻祈は項垂れて、無言を保った。
それを責めることはできない。
土壇場になって痛感することになった卑怯な狡猾さは、身から出た錆のようなもので、それだけに直視するには耐えがたかった。二人はどちらともなく顔を背け合い、照明のぼけたバスの座席と、舗装が欠けたままのさびれた歩道へと別れた。
どことなくスプリングがいかれたクッションに、落ち着かないまま尻を預けて、紫乃は窓から彼を探した。頭上にある蛍光灯のせいで逆光が窓硝子にはね返り、通路を挟んで反対側の席にいるくたびれたサラリーマンしか見えなかったけれど。
思い出す。今になって思えば、としか言いようがないことを。
(本当に聞きたいことを、聞けなかった)
誰かを助けるためになら、あんなにも迷い無く、手を差し出すくせに―――
(わたしからの手は、どうして弾いたの?)
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