. 暮れ泥む残照が影を伸ばして、地表から夜に埋めていく。拭いがたい熱はまだアスファルトに残っていたとしても、靴底でそれを感じるようになる真夏はこれから先が本番だ。熟れた柿の果肉を思わせる落日の畔、路側帯ですれ違う学生たちの服の袖は短いもので統一され、一足遅れで衣替えを済ませようとしている塀の上の野良猫が、毛玉を腹に張り付けたまま欠伸している。ビニール袋を提げた老人が腕まくりして、それを追い払おうと奇声を発していた。いや、最後の腕まくりと夏季は無関係であるにせよ―――
要は、そんな住宅街にほど近い立地にて開店しているのが、乃介蔵という店なのだった。
「民家をお洒落に建てました、みたいな外観ですね」
これが、坂田が口にした、乃介蔵の第一印象である。
. 坂田の自宅を見たことがある麻祈は、彼女がそう思うのは妥当なところだと判断した。乃介蔵の駐車スペースはギリギリ三台分であるし、店の正面が道路に面しているのも、二階建てなのも、坂田宅と同じである。ただし、ここの駐車場は家の前でなく右横に並んで三台分で、そのうち一台分は身体障害者用の設計だ。三段階段の上にある正面玄関まで車椅子を上らせるスロープが設えてあるのも違うし、裏口―――といっても本当に店の真裏ではなく、右隣の駐車場に向けて開く勝手口だ―――に大ぶりの窓が付いているのも、乃介蔵だけだろうと思う。
(そうだった。俺、なんで裏口にでっかい窓ついてんだろってのが、第一印象だったっけか。この店の)
行きつけになると、その謎は解けた。古い話だ。
坂田を促して、麻祈は店に入った。
しっとりと馴染む古木の手触りに安堵しながら、引き戸を開ける。出迎えてくれたのは、料理の控え目な馨しさと、涼やかな金属音―――年代物の、銅のドアチャイムだ。生まれてこのかた、一度たりと門番の役目を放棄したことがない兵(つわもの)だとか……
「武者修行から駆け落ちまで付き合わせてしまった相棒です」
いつだったか、茶化しながらそう答えてくれた店長が、古い蜜色をしたバーカウンター越しに、顔を上げた。客がいない暇に、グラスをタオルで磨いていたらしい。いつかの時と、変わらない所作で。
麻祈の二メートルほど前で、今月は正統派のペンシルタイプに整えられている口髭が、軽く見開かれた目の下でざわついた。
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