「これはこれは。なんとお懐かしい」
「―――ええ」
同意する。ただし、別種の深い場所から。
声といい、言葉づかいといい、耳だけでその場にいると、本当に実父と接しているかのように思えてくる。見当違いだと分かっていながら―――声色や物腰が似通っているだけで実父と店長の無事まで似通うものか―――、それでもいつものように胸を撫で下ろして、麻祈は店内に踏み込んだ。
ドアマットを越えると、歩を乗せた床が軋む。荒く削られた板張りが鳴らすそれは、青年時代に悪童どもと群れた居酒屋(Pub)における生活音でもあったし、少年時代に羽歩にねじ伏せられた耳の下で聞いたテラスの軋轢でもあった。
全身を抱きとめてくれる涼気が心地よい。それは空調設備の優秀さからくるものだったとしても、さながら西洋の窓辺から浸透する冷気であるかのように。平らな陸を走り抜けて、よく冷まされた空気―――
目許が綻ぶ。綻び切らないうちに、麻祈は常套句を口にした。
「篠葉(しのば)さんこそ。ご無沙汰してしまいました。お元気そうで、なによりです」
「……そのお言葉、特に最後のそれを、お返し出来かねるのが悔やまれますな。どことなく、お窶れでいらっしゃる」
口許の笑みが苦味ばしってしまう。せめて口先から否定か肯定が出たあとであれば、二枚舌を使って冗談に転がすことも可能だったろうが。
そして、うっかり追い詰められてしまったことさえ、隠しきれなかった。たたらを踏んだままでいる麻祈に、彼―――篠葉が、贖罪を含んで一段とやわらかくなった口調で、慰めてくる。
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