. 中座を強いられたことを、彼は反発するでも厭うでもなかった。ただ呆然と納得に呑まれたようで、寝言を反芻するかのような不明瞭さで、言い直してくる。
「俺が。しない後悔より、したあとの後悔の方が、めんどうくさくない」
麻祈の口調が、聞き取りづらい。どこかイントネーションがずれた、鼻に抜けるような声色になっていた。喋り方が、崩れているのだ……日本語のそれから、おそらくは、彼の母国語に。
「俺がなにかした。それが不愉快なら、相手は怒鳴り散らすなり、あるいはもっと合法的に裁判を起こすなりすればいい。けれど、わたしがなにもしなかったら、」
(わたし?)
ふと顔を上げ、横に立つ麻祈を見る。
通りすがりの乗用車が、彼の横顔を照ら出す。
「助けることができたんじゃないか、なにか役に立てたんじゃないか―――って。それを必ず絶対に、いつまでも身勝手な夢に見るから」
言いながら、彼は薄らかに笑んでいた。
傾いだ眉に、ゆるんだ口許。肩を落として吐息を洩らし、彼はその時確かに、やるせなくほほ笑んでいた。今更泣くまでもない揺るぎない絶望を前に、彼は涙の一粒さえ零さなかった。
ヘッドライトもろともその数秒が過ぎ去っても、紫乃は身動きひとつ出来なかった。
言葉が、独白から、告白に転じた瞬間も、どうすることもできない。
「ごめんなさい。本当、俺、身勝手です。身勝手ついでにお願いしますけど、今の話、忘れてくださいませんか?」
どうすることもできないのなら、こたえることもできない。
「忘れていただけますよね?」
こたえることもできないのなら、―――
紫乃は項垂れて、無言を保った。
「ありがとうございます」
首肯されたと勘違いしてくれたらしい。彼が、おざなりに呟いてくる。
それが、自分の思い通りだったわけではない……彼を思い通りにするなんて、とんでもない。ただ、自分が都合良く考えるくらいには、彼もそうするかもしれないとは思っていた。そして、好都合なずるさを捨ててまで頼りにできる盤石の名案が、自分にはなかった。
彼とて、おそらくは、そうだった。今度こそ麻祈は、バスが来るまでひと言も喋らなかった。
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