.一戸建てである。リゾート地のペンションと言えなくもないが、そこまで市街地から浮いた外観でもない……駐車場は店の横に三台分、それだって田舎の街中ではありふれた風景だ。店のドアがじゃっかん高いところにあり、三段の階段が設置されているのだが、ドアから垂直に設置されたそれと違って壁に沿うように車椅子用スロープも設えてあるので、そこでようやく来客を意識しているのかと感づく程度だ。店名の看板もそうだ……ドアを挟んで、表札と思える板の反対側。古い切株をスライスしたような木板に、『乃介蔵』と彫琢されている。
(あ。わたしの乃と同じ)
なんとはなしに嬉しい。偶然なのだが、だからこそ彼に気にいられる要素が振ってわいたようで、嬉しさがひとしおだ。
麻祈が先を行く。とんとんと階段を昇って、ドアに手を掛けた。引き戸だ。外観から、ドアノブが付いた開き戸を予想していたのだが、車椅子のことを慮っての設計なのかもしれない。
戸が動いて、ドアチャイムの音がした―――これもまた、来客の到来に気付かずにおれないような、冴えた音の。
麻祈の向こう側に、バーカウンターが横たわった店内が見えた。正面、こちらに気付いて顔を上げた壮年のバーテンダーが、驚いたように目を見開く。そしてすぐに目許を元通りの小皺で埋めて、ちょび髭をざわつかせた。
「これはこれは。なんとお懐かしい」
「―――ええ。シノバさんこそ」
(しの)
またしても過敏に反応している間に、麻祈が店内に入った。
その一歩で大きく軋んだ床にぎょっとするが、床板がたわんでいないところを見ると、そういった構造なだけで腐っているわけではないらしい。カゴバッグを抱えた紫乃も店へと踏み込んでみるが、ふわんとした料理の匂いの中に、木材の腐臭は嗅ぎ取れなかった……同時に、腐臭さえ紛らわしてしまうような強烈なスパイスを利かせるような料理屋でなさそうなことも分かり、別の安心もした。エアコンが効いている……屋外の暑さを忘れさせるような、湿度を脱ぎ捨てた涼気が心地よい。
ゆっくりと店に踏み込みながら、どこかオーバーな仕草で、麻祈が店員―――シノバへと会釈した。
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