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きみを はかる じょうぎは ぼくに そぐわない

 本作品は書下ろしです。また、この作品はフィクションであり、実在する個人・地名・事件・団体等とは一切関係ありません。


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「これはこれは。なんとお懐かしい」

「―――ええ」

 同意する。ただし、別種の深い場所から。

 声といい、言葉づかいといい、耳だけでその場にいると、本当に実父と接しているかのように思えてくる。見当違いだと分かっていながら―――声色や物腰が似通っているだけで実父と店長の無事まで似通うものか―――、それでもいつものように胸を撫で下ろして、麻祈は店内に踏み込んだ。

 ドアマットを越えると、歩を乗せた床が軋む。荒く削られた板張りが鳴らすそれは、青年時代に悪童どもと群れた居酒屋(Pub)における生活音でもあったし、少年時代に羽歩にねじ伏せられた耳の下で聞いたテラスの軋轢でもあった。

 全身を抱きとめてくれる涼気が心地よい。それは空調設備の優秀さからくるものだったとしても、さながら西洋の窓辺から浸透する冷気であるかのように。平らな陸を走り抜けて、よく冷まされた空気―――

 目許が綻ぶ。綻び切らないうちに、麻祈は常套句を口にした。

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.  暮れ泥む残照が影を伸ばして、地表から夜に埋めていく。拭いがたい熱はまだアスファルトに残っていたとしても、靴底でそれを感じるようになる真夏はこれから先が本番だ。熟れた柿の果肉を思わせる落日の畔、路側帯ですれ違う学生たちの服の袖は短いもので統一され、一足遅れで衣替えを済ませようとしている塀の上の野良猫が、毛玉を腹に張り付けたまま欠伸している。ビニール袋を提げた老人が腕まくりして、それを追い払おうと奇声を発していた。いや、最後の腕まくりと夏季は無関係であるにせよ―――

 要は、そんな住宅街にほど近い立地にて開店しているのが、乃介蔵という店なのだった。

「民家をお洒落に建てました、みたいな外観ですね」

 これが、坂田が口にした、乃介蔵の第一印象である。

.  坂田の自宅を見たことがある麻祈は、彼女がそう思うのは妥当なところだと判断した。乃介蔵の駐車スペースはギリギリ三台分であるし、店の正面が道路に面しているのも、二階建てなのも、坂田宅と同じである。ただし、ここの駐車場は家の前でなく右横に並んで三台分で、そのうち一台分は身体障害者用の設計だ。三段階段の上にある正面玄関まで車椅子を上らせるスロープが設えてあるのも違うし、裏口―――といっても本当に店の真裏ではなく、右隣の駐車場に向けて開く勝手口だ―――に大ぶりの窓が付いているのも、乃介蔵だけだろうと思う。

(そうだった。俺、なんで裏口にでっかい窓ついてんだろってのが、第一印象だったっけか。この店の)

 行きつけになると、その謎は解けた。古い話だ。

 坂田を促して、麻祈は店に入った。

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.  玄関前にて待機するよう坂田を促し、麻祈はジャージーのズボンをジーンズに履き替えた。スウェットもあんまりだったので替えた。ドレスコードを意識したわけでもないが、それこそ外出着の分別くらい、麻祈だって持ち合わせている。

 そして坂田と共に、街へ出た。

 麻祈宅はJR駅にほど近い立地にあり、日本のどこの駅前でもそうあるように、リーズナブルなファミリーレストランから、極致過ぎて“ほどよい(reasonable)”の本位を失いつつある立ち呑み屋―――六席のカウンター席しかない・カウンター席には椅子さえない・メニューはツマミしかない・店員さえ(店長しか)いない・豆電球の換えすら無かった時は懐中電灯を天井に向けて立てていた―――まで選び放題だ。そのことを伝えて、バスで帰宅することを考えると坂田にとっては駅に近い店舗の方が好都合なのではないかと提案するのだが、彼女は食事することが目的なのだから都合はそちらに譲ってほしいと言う。まあ、医者と食事するのだから、どうせなら普段は手が届かない晩餐をというのは理にかなっている。うら若い女性が帰りの足を心配しないのはどうかと思うが、いざとなれば件の姉がいるのだろう。ここは日本であることだし。

(ここから近くてイイ店ってなると、……やっぱあそこか。そんな高くないから、坂田さんは拍子抜けするかな? まあ俺が奢るんだから、値段については実感ないだろ。大体にして、坂田さんだって俺だって本格フレンチに行けるような正装してないんだし。うん)

 内心にて納得材料を並べていると、半歩後ろを歩いていた坂田が、ふとこちらを覗き込んで小首を傾げた。

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.  バスの昇降ステップに乗り込む途中に、歩道に立ったままの麻祈から、棒読みを遂げてくる。

「さようなら。おやすみなさい」

 紫乃は、返事をした。

「はい。さよなら……おやすみなさい。麻祈さん。―――それじゃ、また」

 麻祈は項垂れて、無言を保った。

 それを責めることはできない。

   土壇場になって痛感することになった卑怯な狡猾さは、身から出た錆のようなもので、それだけに直視するには耐えがたかった。二人はどちらともなく顔を背け合い、照明のぼけたバスの座席と、舗装が欠けたままのさびれた歩道へと別れた。

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.  中座を強いられたことを、彼は反発するでも厭うでもなかった。ただ呆然と納得に呑まれたようで、寝言を反芻するかのような不明瞭さで、言い直してくる。

「俺が。しない後悔より、したあとの後悔の方が、めんどうくさくない」

 麻祈の口調が、聞き取りづらい。どこかイントネーションがずれた、鼻に抜けるような声色になっていた。喋り方が、崩れているのだ……日本語のそれから、おそらくは、彼の母国語に。

「俺がなにかした。それが不愉快なら、相手は怒鳴り散らすなり、あるいはもっと合法的に裁判を起こすなりすればいい。けれど、わたしがなにもしなかったら、」

(わたし?)

 ふと顔を上げ、横に立つ麻祈を見る。

 通りすがりの乗用車が、彼の横顔を照ら出す。

「助けることができたんじゃないか、なにか役に立てたんじゃないか―――って。それを必ず絶対に、いつまでも身勝手な夢に見るから」

 言いながら、彼は薄らかに笑んでいた。

 傾いだ眉に、ゆるんだ口許。肩を落として吐息を洩らし、彼はその時確かに、やるせなくほほ笑んでいた。今更泣くまでもない揺るぎない絶望を前に、彼は涙の一粒さえ零さなかった。

 ヘッドライトもろともその数秒が過ぎ去っても、紫乃は身動きひとつ出来なかった。

 言葉が、独白から、告白に転じた瞬間も、どうすることもできない。

「ごめんなさい。本当、俺、身勝手です。身勝手ついでにお願いしますけど、今の話、忘れてくださいませんか?」

 どうすることもできないのなら、こたえることもできない。

「忘れていただけますよね?」

 こたえることもできないのなら、―――

 紫乃は項垂れて、無言を保った。

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プロフィール

HN:
DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)
年齢:
17
性別:
非公開
誕生日:
2007/09/09
職業:
自分のHP内に棲息すること
趣味:
つくりもの
自己紹介:
 自分ン家で好きなことやるのもマンネリですから、お外のお宅をお借りしてブログ小説をやっちゃいましょう(お外に出てもインドア派)。

 ※誕生日は、DNDDとして自分が本格的に稼働し始めた日って意味ですので、あしからず。

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