(そんなに暑いんなら半袖着たらいいのに)
うらみがましく、麻祈のトレーナーの長袖を見やる。ついでに彼は、ジャージのズボンの丈も長い。コーディネートのちぐはぐさどころか、毛玉の付き加減からしてどちらも百パーセント部屋着であり、だからこそ彼の適温であろうエアコン温度は屋外の初秋を思わせる低温設定だ。室温の寒さよりも、まるっきり夏仕様で頭のてっぺんからつま先まで設えてきた紫乃こそここに相応しくないと言外に指摘されたように感じてしまことの方が堪える。
(きっと、衣替えし損なってるうちに今になっちゃったってだけなんだろうけどさ。こないだだって、電灯切れたままにしてたし。もしかしたら、今もそうだから、部屋の電気つけてないのかも分からないし)
と、下向きの自意識過剰を内心で補正していると。
「ところで、ええと。すいません。俺、坂田さんと、この時間帯になにか約束していたんでしょうか?」
「は?」
「実は、覚えていないんです。多忙すぎて」
呟いてくる麻祈に、言葉を失う。
手前で麻祈は、後ろ頭など片手で掻きながら、実に決まり悪げにしょげているだけだ。
「だから多分、今日の昼下がりくらいに、電話に出たかなにかしたんだと思うんですけど……何時ごろに、どういった件で、お話しましたっけ?」
ぽかんと目を見開いて、紫乃はそのことについて考えていた。
(おぼえてない?)
おぼえていない。すっこ抜けている、と麻祈は言う。
信じられない。一言一句のみならず、電話を終えてからベッドの上で数え上げた感慨や満足や物足りなさまで残らず知覚している紫乃には、信じられないことだった。彼がそれを覚えていないという事態は。
そして、覚えていないという彼に、ショックを受けるよりもチャンスを直感してしまっている自分が信じられなかった。
「―――そうです、昼下がりに、電話で」
駆け引きできない後ろ暗さを、それでも先送りしたくて、紫乃はごにょごにょとあらすじを伝えることで回り道を試みた。
「麻祈さん、いつくらいなら、ご在宅でしょうかって、わたしが尋ねました。そしたら、今日は暗くなる前に部屋にいますって言われて。それで、それならわたし、バスを使って夕方にお伺いします、帰りもバスを使いますのでお気遣いなくって。これを返す約束で」
「はあ。あ。頂戴します」
カゴバッグから差し出した紙袋を受け取った麻祈は、言われるまま納得して中のサンダルを覗いている。疑うそぶりは毛ほども無い。鵜呑みにしているのだ。これが事実だと。
であれば、今なら、これだって事実になってくれる。誘惑に駆られるまま、口走る……
「それとあと、―――ごはんとか、一緒にどうでしょう? って。約束したんですけど」
麻祈が、紫乃へと顔を上げた。
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