「麻祈さん」
呼びかけると、麻祈は分かりやすく警戒した。やや仰け反るようにして、
「はい」
「わたしとの約束、忘れてましたよね?」
「ええあの、それは重々―――申し訳なく」
「でしたら、わたしも今日の予定を狂わせていいですか?」
「は?」
「わたしが今日の夕飯を作ります!」
またしても、彼のあの一拍。その予感がした。
無視して紫乃は顔を逸らした。そのまま、廊下にある台所へとつま先を向ける。
(売り言葉に買い言葉みたくなっちゃったけど、やってやる……やってやる!)
料理はほぼ毎週しているし、評価も概ね好評だ。前に、調理酢の代用品としてラッキョウ酢を流し込んで作った鶏肉の甘酢煮は姉から不味いと言われたが、牛乳の代用品としてヨーグルトをブチ込んだ先週のグラタンより三万倍マシだと家族総員(作り手である姉も含む)の意見が一致した。だからきっと、今回だって上手くいく。二人分の食事くらい賄える。調味料の残量を確認して、食材の状態と照らし合わせてから、メニューを考える。と言っても、あの冷蔵庫の中に期待は出来そうもないから、買出しに行くことにはなるのだろうが、その場合は恐らく自動車を足として麻祈が出してくれる―――くれるとしたら……
今度こそ、助手席に座れる可能性がある。
スーパーに着いたなら、ふたりでカートを押して買い物をする可能性がある。
それは並んで商品を品定めすることでもあり、隣り合って意見交換しながら買い物するということであり、ありふれたカップルのありふれたデートにありがちな構図を再現できる確率が本日の夕暮れから夜にかけて高まるでしょう―――
「勘弁してください」
「なんでですか!?」
いつしか心象的気象予報に化けていたそれを麻祈にもみ消され、紫乃は大声を上げた。大きな悲鳴だったかもしれない。
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