「料理慣れした奴こそ、料理するのに不向きなんですよ。うちの台所、ほんと独房って言うか、日本人向きの単身者用で。俺ですら、菜箸の先っちょとか手首とかが事故に遭う回数に耐えられず、こまめな自炊を挫折したんですから」
麻祈を見上げていた坂田が、はたと瞳の色の攻撃的な色彩を鎮火させて、ミニキッチンまわりを視線で周回した。肩を並べるくらい間際なので、その動線から考えが読める。まな板を置くとIHコンロが使用不可能となり、IHコンロを使用中はシンクくらいしか空きスペースがない。そのシンクさえ、鍋ひとつ洗うので一杯一杯のしょぼいサイズである。生ゴミを溜める三角コーナーさえ常設できない。
(ま。狭さそのものは、蓋した洗濯機とか電子レンジの上に調理スペースを拡張すりゃいいんだけどな。一個しかないコンロは、加熱と余熱を使い分けて、鍋敷きとコンロをローテーションさせれば問題ない。まな板は、シンクに橋するみたく渡しちまえば、そのまま具材を切り分けていけるし)
とまあ、幾らでもアドバイスは浮かんだ。
だとしても、坂田の夕食への宣戦布告に不戦勝を“くれてやれる”チャンスこそ逃す手はない。麻祈は、逃げ道を逃げる建前を、坂田へ唆し続けた。
「もちろん俺だって、坂田さんのお母さんやお姉さんの褒め言葉を疑っちゃいませんよ。坂田さん、きっと料理上手なんだと思います。でも、それって自宅での話でしょう? こんなところじゃねぇ……陸(おか)に上がった河童って諺もありますし。というわけで、残念ですけど、」
「いいえぇ! そんなのじゃ諦めたりしないんだから」
言いながら、後ろ頭の髪留めを直して、肩丈の髪をひとつ束にする坂田。
そのあらわになった耳朶に、そっと耳打ちする。
「正直言うとね。ゴキブリ来るんです。その台所。おいしいものを時間をかけて作ると、特に」
ぴた、と坂田が硬直した。
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