「実は、覚えていないんです。多忙すぎて。だから多分、今日の昼下がりくらいに、電話に出たかなにかしたんだと思うんですけど……何時ごろに、どういった件で、お話ししましたっけ?」
目をぱちくりさせる坂田にばつが悪く、麻祈はつむじまわりを掻きながら首を竦めた。坂田の双眸には麻祈への非難も同情もなく、どちらかといえば、これからそのどちらかを選択すべきなのかなぁと推し量るような陰りをみせている。実際そうなのか、坂田はこちらの質問を品定めするかのように、小出しに答えてきた。
「そうです、昼下がりに、電話で。麻祈さん、いつくらいなら、ご在宅でしょうかって、わたしが尋ねました。そしたら、今日は暗くなる前に部屋にいますって言われて。それで、それならわたし、バスを使って夕方にお伺いします、帰りもバスを使いますのでお気遣いなくって。これを返す約束で」
「はあ。あ。頂戴します」
「それとあと、―――ごはんとか、一緒にどうでしょう? って。約束したんですけど」
「ごはん?」
坂田が肩掛け鞄から取り出して、手渡してきた紙袋の中―――ああこないだのサンダルだ、しかもご丁寧に洗ってあるなこりゃ―――を覗いていた麻祈は、そこにきて顔を上げた。きょとんと、両目を瞬かせる。坂田との約束を思い出したわけではない……それ以外のリアルを覚えていたせいで、今ばかりは眠気さえ褪めた気がする。
「ごはん。それ、夕食(Dinner)って意味ですよね? この場合。主食(Rice)でなく」
「は―――い、そうです」
「……明日まで保つかな……」
懸念の眼差しを部屋隅の冷蔵庫に送りつつ、ひとりごちる。
とりあえず紙袋は床に置いて、握ったままだった靴下を履いた。履き終えた。となると、あとすべきことは、冷蔵庫の中の確認だ。
無意味な先送りに嘆息でとどめを刺して、仕方なくそこに近寄る。冷蔵庫は標準的なひとり暮らしサイズでなので、下段にあるドア開閉の保冷庫を眺める時は、屈んだ方が楽だ―――特に、念入りな状況判断が求められている場合は。
屈んだ麻祈が保冷庫のドアを開けると、内側に明りが点り、分かり切っていた光景を照らし出した。
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