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きみを はかる じょうぎは ぼくに そぐわない

 本作品は書下ろしです。また、この作品はフィクションであり、実在する個人・地名・事件・団体等とは一切関係ありません。


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(……狭い……)

 狭い。ものすごく狭い。

 靴を脱ごうとした麻祈が屈んだおかげで、なおのこと物件が見通せるようになる。縦に一畳あるかないかという長さの廊下は、横幅としては絶対に畳のそれほどはない―――モノが積んであるということもなく、真実その面積だ。廊下に添えるように、小さな台所と洗濯機が並んでいて、紫乃の手前の玄関に繋がっている。玄関には下駄箱があったが、その上は電子レンジやら衣服用洗剤ボトルやら用途不明の小箱やらで埋まっていた。

(なんでこんな狭いの? 葦呼ン家より、かなりキツキツ……同じ病院に勤めてても、お給料とか開きがあるのかな……で、でも洗剤は液体タイプの高いやつだし。よく分かんない。あ。キッチンに炊飯器ある。ゴツいなあ。高そう……)

「さ。どうぞ」

 はっと、紫乃は顔を上げた。

 玄関に立った麻祈が、重ねて言ってくる。

「一応、ドアを閉めたら、施錠をお願いできますか?」

 紫乃とは違って、彼の表情には、こちらの様子を詮索する色は無い。それだけ信じると、紫乃は慌てて玄関に入った。ドアを閉じる。ドアノブの下のつまみを捻って、垂れ下がっていたチェーンロックも掛けた。メインキーを掛けただけでは、また余計なことまで考え出してしまいそうだったから、間を持たせたくてとにかくそうした。

 無事にやり遂げて、吐息する。その中に、嗅ぎ慣れない―――けれども、いいにおいを感じた。男の人なのに。なんだか悔しい。

 香水でもないし、芳香剤とも違う。洗剤に近いが、それらしき液体ボトルは、下駄箱の上でしっかりと蓋が閉められた状態で置かれていた。無性に嗅覚を確かめたくて、呟いてしまう。

「セッケンのにおい……」

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.麻祈は、一階階段の踊り場に備え付けられた集合ポストの投函口を覗きこんだ時以外は足を止めず、上階へと進んでいく。ポストに書かれた号数から察するに、三階まで行くらしい。彼が時々振り返って、後方の紫乃の様子を確認してきた。心配を掛けたくなくて、しっかりと腿から足を上げて段を進む。その都度、ぺしょぺしょと靴底の水たまりを踏んだけれど、不快感ごとなかったことにする。

 そして三階で、麻祈は四階に続く階段から外れて、廊下へと進んだ。胸くらいまである高さの柵で下界を仕切った廊下には、柵と並行するように各部屋のドアが並んでいる。外から吹きこんできた突風が、千切れてぶら下がった蜘蛛の巣と、丸まって転がる虫の死骸を揺すっていた。木の葉の吹き溜まりは、風に吹かれても動かない……長い間、そこで濡れて乾いてを繰り返すうちに、ヘドロのように固まってしまったらしい。コンクリートの黒ずみから、通り雨がここも通過したのは見てとれたが、それでも流れないとなると冗談抜きにヘドロと化してしまっているのかもしれない。

(葦呼ん家と、本当に違うなぁ。手入れが行き届いてないっていうか……大家さん、女の人じゃないのかなぁ)

 不意打ちしてくる向かい風に引き腰になりながら、きょろきょろしたり目を見張ったりしているうちに、麻祈が立ち止まった。ドアの枚数はひと階層につき五つ―――その中央の、みっつ目の部屋だ。三〇三号室。

 彼は腰元にあるジーンズのポケットから鎖を手繰ると、引きずり出した鍵の中からひとつを使ってドアを解錠した。残りの鍵みっつと一緒くたに握り込むと、またポケットへと無造作に突っ込む。

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.振り仰ぐ空。蝉の音は遠い。雨垂れの音は、それよりか近い。不規則なポツポツという音を、規則的な蛍光灯の明滅音がジッジッと焦がして、ビル群にカクカクと削り取られた夜空の静寂の退屈さを乱している。ぱたぱたと低空旋回しているのは蝙蝠だ。外灯に寄ってくる羽虫を狙っているのだろう。

(なんだろ。落ち着いちゃった)

 そして、顔のほてりを手の甲でこすって、取れないかななどと思っていると。

「あの。とりあえず、タオルとかどうでしょう?」

「え?」

「お詫び」

 麻祈が、そっと紫乃に視線で触れてきた。そこに暗示された事実に気付いて、わたわたとブラウスや足元を確認する。腕を動かしただけで水が飛んで、踵をずらすと水たまりの面積が広がった―――大型書店で雨宿りしていた時よりも、輪をかけて大きく。

(足元も見ないで走ったせいだー!)

 気色ばんでいるうちに、彼が言ってくる。

「タオルなら腐るほどありますので、三階のうちに上がって、身体をあらかた拭いて乾かして行かれてはいかがでしょうか? あれ? 誤用? タオルは腐らないのに」

 ひとりごちて首を捻る彼を見かねて、紫乃は口を開いた。

「すごくたくさんって意味なら、腐るほどで合ってるかと……」

「よかった。ありがとう」

 笑んでくる、麻祈。

 そして彼は、鎖骨の下あたりを撫で下ろした手をこちらに向けると、ひょいと紫乃から自分の傘を釣り上げた。ついで、ずれていたボディ・バックをたすき掛けし直して、きびすを返す。総合玄関の奥にある、アパートの上階へと繋がった蛇腹階段へと。

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(―――なにも、……知らないくせに!)

 紫乃が今、こんなにもあれこれ詮索して、乱高下に浮き沈みしていることも。今だけじゃなく、ずっと今までそれを繰り返してきたことも。どれもこれも知らないから、そんなことを答えたりするのだ―――だって、ついてくるから。 

「ついてくのがおかしいんですかっ!?」

 それを許しておきながら、

 受け入れておきながら、

 し続けておきながら、

 ―――しかも返事は、こうとくる。

「いいえ。ちっとも」

「―――じゃあどーして笑うんですかっ!」

 ますます、いきり立つしかなくなる。こちらと真逆に落ち着いて、しおらしく静まっていく麻祈を見るほど、黙っておれずにいられなくなる。だって、彼はまだ笑っている。余裕たっぷりに、そんなのじゃない紫乃を見ながら!

「一所懸命なのを笑うのって、絶対にやっちゃいけないことなんですからっ!!」

「ごめんなさい」

「そうです! お詫びしてください!」

「すみません」

「そうですよ!」

「失礼しました」

「そうです! しましたんですから!」

「許してください」

「許されたら終わりとかないですから! 絶対ないんですからね! わたし笑われたことも麻祈さんが笑ったことも無かったことになるなんて絶対ない―――!」

「ありがとう」

 残り全部が、消し飛んだ。

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.いや、跳ぶような余力なく、よろよろと立ち止まりかかるのを、どうにか彼の前まで引きのばして。

 傘を抱きしめているせいで、押さえつけられた胸と下腹が上手く動かない……その傘を片手に移して、彼に差し出す。もうひとつの手で震える膝を押さえつけながら、紫乃は唇を噛んだ―――そこだって、震えてしまっていた。それは、膝につられてそうなってしまったのでもなければ、雨に濡れて寒かったからでもなかった。

 だからこそ見られたくない。見られるかもしれないなら、せめて誤魔化したい。喋り出すしかなかった。項垂れたまま、荒らげた肩を鞴(ふいご)にするように、必死に言葉を紡ぎ出す。

「濡れ……るから……か、返し―――」

 プふー。

 聞こえたのは、そんな音。

 プラスチックで出来た、子どものラッパの音だと思えた。それが、場違い過ぎた。呆気に取られて、真正面を振り仰ぐ。

 無論のこと麻祈は、そのような玩具など持っていない。鳴ったのは、彼の口許だ……噴飯したことが如実に分かってしまうくらい、笑いの余韻に震えていた。否。

 笑いの衝動に負けて、笑い出した。

 最初は小さく、そこからとめどなく大きく。それはもう大笑いだった。その証拠に、口を隠していた手が、今はおなかの上だ。紫乃の手だって、走っている最中はわき腹にあててあったけれど。

 そうだ。やや前屈みで、横腹の痛みは手を当てることで押さえ込んで。息を切らしながら大声を上げ、赤い顔の中で歯も舌も赤裸々に剥きながら、細めた目に涙を浮かべて、きっと自分だって走っていた。

 だから、そうしている彼から、目が離せない。

 ひとしきり笑い終えた時も。

 紫乃を見て、また笑いかけた時も。

 思わず、声を上げてしまっていた。あまりのことに呆気に取られていただけで、馬鹿みたいに見とれていたのではないと、自分を丸めこむ建前が欲しかった。

「な、なんで笑うんですか!?」

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プロフィール

HN:
DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)
年齢:
17
性別:
非公開
誕生日:
2007/09/09
職業:
自分のHP内に棲息すること
趣味:
つくりもの
自己紹介:
 自分ン家で好きなことやるのもマンネリですから、お外のお宅をお借りしてブログ小説をやっちゃいましょう(お外に出てもインドア派)。

 ※誕生日は、DNDDとして自分が本格的に稼働し始めた日って意味ですので、あしからず。

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